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Autor: admin

第5回:荷物泥棒の恐怖

2026年6月29日 発車する電車の窓越しに、取り残された自分のリュックを見送るという失態を演じた。 幸い、スマホと財布、パスポートだけは身に付けている。だが、リュックの中にはノートPC、一眼レフ、そして日本円にして約40万円相当の外貨が入っている。なかなかの大金だ。背筋が一気に凍りついた。 テレビスタッフに「悪い、急用!」とだけ言い捨てて電話を切り、駅員に泣きつく。6つ先の「小山駅」でチェックしてくれるというが、待っていられるはずもない。私は次の電車に飛び乗り、小山へと向かった。 移動中の車内、駅員から無慈悲な電話が鳴る。通常は電車内で電話に出ることはないが、周囲には人も少ないし、何より緊急事態だ。 「小山駅では見つかりませんでした」 ……終わった。宇都宮から小山の間で、誰かに持ち去られた可能性が高いという。次は大宮駅で再チェックするというが、期待は薄い。未知の動物を求めてアフリカへ飛ぶ前に、まさか日本で全財産を失う恐怖を味わうとは。私は小山から新幹線へ乗り換え、大宮へ先回りした。 だが、大宮駅の窓口でも無情な宣告を受ける。 「大宮でも発見できませんでした」 この先は都心に入る。乗客は膨れ上がる。ダブルチェックをすり抜けたバッグが、これ以上先で見つかるとは考えにくい。私はここで、完全に腹をくくった。 <前回の日記 次回の日記> 過去の日記へ

第4回:事件発生

2026年6月26日 世界一周の旅路を語る前に、私がアホすぎるゆえに起きた大ハプニングについて書いておかねばなるまい。これからアフリカなどの秘境に行こうという人間が、日本国内でこれである。 私は栃木県の北部に住んでいる。成田空港への道中、まずは宇都宮駅へと向かった。 ホームに上がると、始発の電車が止まっていた。車内はガラガラ。私は端っこの席を選び、荷物をドサリと置いて席を確保した。 その時、私のスマホに某『イッテQ!』のスタッフから電話が入る。 次のロケについての打ち合わせだ。車内で喋るのはマナー違反なので、荷物を置いたまま、ワイヤレスイヤホンをつけてホームへと出た。 そして、事件は起きた。 喋りに夢中になっている私の目の前で、プシューと電車の扉が閉まり、私の荷物を乗せたまま、ガタゴトと発車してしまったのだ。 完全なる私のミス。私が乗る予定の、1本前の電車だった。 <前回の日記 次回の日記> 過去の日記へ

第3回:世界一周の旅へ

2026年6月22日 私も人間だ、褒められて嫌な気分になるわけがない。キャバクラや風俗にはとんと興味がないが、女性にちやほやされるのはどうにも弱い。嬉しくて舞い上がり、調子に乗って、結果として「優秀なATM」として機能し続けてきたのが私の人生だ。男とは何歳になっても悲しい生き物である。早くこの業から離脱したいものだ。 そんなATM体質のおっさんが、数年ぶりに再開する日記のネタとして選んだのは「世界一周」である。 世界一周といっても、現代風に飛行機でポンポンと巡るだけだが、再開一発目としてはなかなかのインパクトだろう。 今回のルートは、日本を皮切りに台湾、トルコ、ギリシャ、キプロス、エジプトを抜け、野生の王国アフリカ(ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ)へ。そこからアメリカを経由して帰国する。そして旅の締めくくりには、ANAが誇る最高峰のビジネスシート「THE Room」を初体験する計画だ。 そう、鋭い方はお察しの通り、今回はビジネスクラスでの世界一周である。若干自慢っぽくてイライラするかもしれないが、ATMとして搾取され続けた男の、ささやかな人生の報われだと思ってご了承いただきたい。 <前回の日記 次回の日記> 過去の日記へ

第2回:AIを相棒にする

2026年6月20日 20年前にコスタリカの底辺ブログを挫折した私だが、今、もう一回やってみようかなという気持ちになっている。 ぶっちゃけ、今はAIという便利な相棒がいるからだ。 かつて私の脳みそと貴重な時間をゴリゴリと削っていた面倒な編集作業の大部分を、こいつが肩代わりしてくれる。これなら手間もかからないし、お気楽に再開できるというものだ。 というわけで、いつまで続くかは私の気分次第だが、ここ「ゴジツアーズ」のホームページをお借りして、再び日記(あるいは旅行記、あるいはただの徘徊メモ)を書いていこうと思う。 しかし続くかどうかの自信は、正直ない。今回の日記も前回から2週間以上空いている。まあ、これでも色々と忙しいのですよ。 50を過ぎたおっさんの日常が、一般的な旅行客の方々にとって1ミリでも面白いものだとは到底思えない。普通のキラキラした海外旅行記を期待した人には、先に謝っておく。すまない。 私の日常は普通の人に比べれば「ちょっと変わっている(直球で言えば、変)」らしい。自負も自覚もなく、私自身は自分のことをその辺に転がっているただのオッサンと思っているのだが、刺さる人にはトゲのように刺さって楽しんでもらえたら――そんな淡い期待を抱きつつ、書いてみることにした。 それでは皆様、気長に付き合ってほしい。今後ともよろしく。 <前回の日記 次回の日記> 過去の日記へ

第1回:昔の読者から連絡

2026/06/3 世の中には、実にあきれた「物好き」が一定数いるらしい。 今から遡ること約20年前。私は中米のコスタリカの地で「現地に住む底辺日本人の日常」を面白おかしく書き殴る、ニッチ極まりないブログを書いていた。当時のネットの片隅で、それは一部の人間たちの暇つぶしとして機能していたようだ。 驚くべきことに、当時そのコスタリカのブログを見てくれていた「ファン」と呼ぶのもおこがましい方々から、今でもたまに連絡をいただくことがある。 「また書かないんですか」と。 実は数年前、その声に文字通り調子に乗って再開を試みたことがあった。しかし、結果から言えば、あまり続かなかった。 ゼロから構成を考え、文章を練り、その中にすっと笑える小ネタを仕込み、レイアウトを調整して写真を載せ、ホームページにアップする――。この一連の作業は、控えめに言って地獄である。少なくとも、ズボラな私にとっては途方もない大仕事だった。 私は早々に白旗を上げ、再び沈黙した。 しかし、時代は変わった。状況はあの頃とは劇的に変わっているのだ。 <過去の日記へ 次回の日記>

●メキシコ オアハカ 死者の日ツアープラン:

    ■死者の日ツアー日程: 10/29:メキシコシティ経由でオアハカのホホコトラン空港到着。 運転手が空港へお迎えに上がります。合流後、空港からオアハカ市内のホテルへ移動。 /オアハカ泊 10/30:午前中は市内を少し散策。死者の日の準備が進むオアハカの町を散策。 昼食後、ホストファミリーとオフレンダのお買い物(お花やパン、お香等) お買い物を済ませたら、ホストファミリーのご自宅へ移動し、 夕方頃からホストファミリーのお宅でオフレンダの準備をします。 オフレンダの準備を終えたら、ホストファミリーたちと死者の日の伝統的なメニューの夕食。 夕食を終えたら、ホテルへ戻ります。 /オアハカ泊 10/31:この日の朝はゆっくり目にスタート。昼食の後、市内を軽く散策しつつ、 パレードや死者の日本番に備える町の雰囲気を楽しみます。ご希望であれば、 死者の日のメイクも可能です。夕方から死者の日期間最大規模のパレードに参加。 約2時間のパレードを楽しんだ後は、オアハカ市内のお墓へ移動し、見学。 各家族がお墓に集まり、ろうそくを灯し、それぞれが思い思いに故人への思いをはせる様子は どこか幻想的な雰囲気で、映画「リメンバーミー」の世界を彷彿とさせます。 お墓見学の後はホテルへ戻ります。 11/1:午前中はオアハカ近郊のモンテ・アルバンの遺跡を訪問。オアハカ地域の先住民族「サポテカ族」 が建設し、その当時最大の都市であった遺跡を見学。遺跡見学後は、民芸品のお店等を見学しつつ、 昼食のレストランへ移動。昼食はオアハカ料理をお楽しみください。 昼食後、オアハカの空港へ移動し、夜の便でメキシコシティへ移動。 この日の夜はメキシコシティの空港近くのホテルにてご宿泊。…

グアジャボ国定遺跡の紹介➁

2025年8月25日 前回の記事の続き、トゥリアルバ(Turrialba)近郊にある グアジャボ国定遺跡の様子をご紹介します。1973年に国定遺跡に指定され、 現在はコスタリカの環境エネルギー省によって管理されています。 熱帯雨林の散策路を歩いていくとぽっかりと空いた遺跡が見えてきます。 展望台から見た遺跡の風景。 紀元前1000年前頃から、この地域で農耕を営む民族がいたことが 調査の結果、判明しており、この地域ではかなりの影響力を持っていたようです。 遺跡では、彼らが作った水路や住居跡等が見られます。 先住民の作った水路、世界の他の多くの部族と同じく、水源の豊富な地域に 居住地を作り、生きるのに必要不可欠な水を山から引いてきていたようです。 はるか昔に作られた水路ですが、現在も水が流れ続けています。 広場では、ところどころ、石が積み上げられ、高くなっている場所があります。 この積み上げた石の上に先住民の人々は住居を作り、生活をしていたとされています。 このエリアは墓地として利用されていたとされており、遺跡の調査が開始した初期の1891年に 調査をしたところ、精巧な細工が施された石器や金でできた装飾品等が見つかっており、恐らく、 部族の中でも社会的地位の高い人間が埋葬された場所であろうと推測されています。 こちらは同じく墓地として利用されていたであろうと推測されている場所、居住地のある 広場からだいぶ離れたジャングルの中に作られています。 発掘作業の様子。1960年代後半から調査が本格的に実施されるようになったようです。 石で作られた道で、長さは4~5㎞ほどあったと考えれており、一部は遺跡発見後に 復元されています。この道は居住地に入ってくる人間の出入りを把握して、管理するために 使われていたと考えられています。 こちらは居住地の入口とされている場所。石が長方形の形で積み上げられています。 遺跡内には石碑もあり、全部で36個の石碑が現在までに発見されています。…

タイトル:グアジャボ国定遺跡の紹介➀

2024年7月8日 今回は、コスタリカの中西部、トゥリアルバ(Turrialba)の近郊にあるグアジャボ国定遺跡を2つの記事に渡ってご紹介します。 グアジャボ国定公園(Monumento Nacional de Guayabo)は首都のサンホセから車で約2.5時間ほど 走った山間部にある遺跡で、先住民の遺跡の中では、コスタリカの中で最も歴史が古く、文化上の 重要性も高い場所とされています。 現在、遺跡は国によって保護、管理されており、保護されているエリアの面積は 合計233ヘクタール(東京ドーム約50個分)と非常に広大で、見学することが出来る部分は限られていますが、 一般の観光客も入場料を支払うことで遺跡の中を見学できます。 ↑遺跡の入口、ここで入場チケットを購入できます。 また、公園入口付近には小さなミュージアムもあり、遺跡の発見から調査の歴史や、 先住民の人々が住んでいた当時のイメージを再現したジオラマ等も見学できます。 チケットを購入し、係員の説明を受けた後は、生い茂るジャングルの中を歩いていきます。 降雨量も非常に多い地域で、森の中はうっそうとしており、遺跡だけでなく、 様々な野生動物たちも生息しています。 ↑遺跡の中を流れる川で見つけたジャノメドリ。水の綺麗な場所で見られる水鳥です。 ↑黄色のラインが目立つバッタの仲間。 ↑翅の付け根の赤い模様が美しいイトトンボの仲間。 英名では「Rubyspots」と呼ばれる種類です。 ↑国定遺跡内に生息、生育している野生生物の一例 熱帯のジャングルが生い茂るトレイルを歩いていくと、徐々に視界が開けていき、 グアジャボの遺跡が目の前に見えてきます。 ↑熱帯林の生い茂るトレイルを歩いていくと、ぽっかりと空いた場所にある…

コスタリカ西部のコーヒー農園訪問

2024年6月23日 先日、コスタリカ西部にあるコーヒー農園を見学してきましたので、その様子を少しご案内します。 コスタリカは世界的にも高品質なコーヒーの栽培国として有名で、コスタリカ国内では合計8か所のコーヒー生産地域があります。 地域によって、コーヒーの収穫時期は異なりますが、今回、訪問した西部のコーヒー生産地域は 7月~3月までと非常に長い期間、コーヒーの収穫がされるそうです。 ↑コスタリカ国内のあるコーヒー生産地域。もう一か所はなぜか離れた別の場所に展示されていました(笑) 今回、訪れた場所は首都サンホセから車で2時間30分ほど、山間ののどかな農村にあり、 地域の人々に雇用を生み出しています。 ↑コーヒー農園の目の前にある教会。1920年頃に建設されたとされる。 シンプルな造りの教会ながら、中には美しいステンドグラスが。 農園の方によると、イタリアの職人によって作られ、持ってこられたものとのこと。 美しい教会を見学した後は、実際にコーヒー農園の中を見学。 職員の方から、コーヒーの栽培から収穫、加工、出荷までの一連のプロセスについて説明を受けます。 ↑コーヒー農園の風景 ↑まだ、熟しておらず、緑色のコーヒーの実。農園内でも場所により、コーヒーの実の 成熟速度が異なるため、場所によっては、来月から収穫を開始するとのこと。 ↑収穫期に使われるコーヒーの洗浄機械。ここで果肉や不純物を除去したり、 虫等に食われて穴の開いたコーヒーの実と良い状態の実が選別されます。 ↑コスタリカのコーヒー農園は環境に配慮した形での生産をしている場所も多く、 この農園もカーボンニュートラル認証を受けていました。 ↑洗浄、選別等の行程を経た豆は生豆(焙煎されていない状態)で保存され、 世界各地の顧客への出荷のため、一時的に倉庫に貯蔵されます。 ↑基本的にコーヒーの豆は上の写真のように2つに分かれていますが、 稀に、2つの豆が合わさった状態で成長するものもあり、それらの豆は「ピーベリー」 と呼ばれていて、普通の豆よりも糖度が高いのだとか。研究の結果、その事実を発見したのは、…